怒鳴られる側の影響(子どもの場合)と子どもとの関わり方
前回は、怒鳴る人の背景にあるものについて書きましたが、今回は、怒鳴られたりする側の方の状態について書いていきます。
怒鳴る側の状態は、感情のコントロールが困難になっている状態ですが、怒鳴られた側にはどのような影響があるのかというと、例えば、親が子供を叱る時など常時頻繁に怒鳴っていると、子供の脳の発達に影響を与えることが大学の研究で分かっています。
怒鳴ることは、伝えたいことを伝える手段ではなく、単にイライラなどのストレスの発散のために行われています。叩いてしまう、というのも同じで、怒りやイライラを行動で相手にぶつけているだけで、本当に伝えたいことを伝達する手段にはなりません。
頻繁に怒鳴られると、子供の場合は、脳の発達に影響を受けることで精神的な成長を妨げられることになり、攻撃的になったり、むきになりやすくなったりと問題行動に発展しやすく、青年期になるとうつ病も多くみられる研究結果になっています。
「子どものことを思って」いるようで、親自身の思いしか見えていなくて押し付けている時も、子供には、どうすることが必要なのかというその思いは伝わりません。
むしろ、権威的な姿勢や脅威が伝わっています。ですから「○○しなさい!」「○○しろ!」などの命令形の言葉での指示も、子供を委縮させます。
さらなる研究では、怒鳴るだけでなく、言葉による虐待(言葉の暴力)なども加わると、左右の脳を繋ぐ脳梁と言われる部分が酷く収縮していることが確認され、情緒不安定となることや、集中力も低くなることが確認されています。
また、夫婦喧嘩による言い争う声も、子どもには影響を与えることも分かっていますので、注意が必要です。
子どもが言うことを聞かないというのは、自分通りに動かないということだとすると、それは当然のことでしょう。子どもは、自分と同じではなく、違う魂と人格をもった1人の人間なのですから。
ただ、大人と同じような、責任や義務はありませんので、大人と同じ対応ということではなく、子供の人格の尊厳が必要になります。
親の責任は、子ども自身が自分の人生を生きることが出来るように責任というものを果たすことを教えることや、その子の天命、使命・役目を人生を通して果たすことが出来るようにサポートすることです。
また、子どもは親の行動をとてもよく観察していますから、親の言葉にしていることと行動が違うことがあれば、それも認識しています。
ある俳優さんが、「子どもの前では酔っぱらった姿は見せない」とおっしゃっていたのも、親としての責任として、子どもに親としての自分が伝え教えることの一貫性を与える手段としての選択です。親自身の行動と普段言っていること(教えていること)が矛盾していると、子どもは混乱をきたします。
「子どもは親の背中を見て育つ」という諺があるように、子どもに命令や指示をするのではなく、一緒に取り組むことや「○○してみようか」「一緒に○○しましょう」という言葉かけの方が望ましいとも言われていますし、子どもに教えることや伝えていることは先ずは親本人が行動することです。
その行動を、子どもは真似をして手本にします。
子どもが自分の鏡と言われるのは、親を本当によく観察して映し出しているからです。
このように怒鳴ったりすることや、言葉による虐待(暴力)は子どもの成長に多大なる影響を与えます。そのため、数年ほど前から、一部の教育機関では子供のケアだけでなく、同時に親のケアもなされるようになってきています。
そして、その親も、子供の頃にそのようにしか接して貰えずに、子供との接し方が分からない人も多いのです。連鎖していきます。
怒鳴られる側だった人が、怒鳴る側になっていることも多いのです。
苛めや虐待の場合も、苛められる側だった人が同時に苛めている側になっているケースもみられます。
潜在意識の領域についての観点からお話しをすることもできるのですが、個人の経験によっても違いがありますので、ここでは省きます。(個別のご相談はコンサルテーションにて対応させて頂きます。)
親からの、ありのままで愛されているという思いは、子どもが自分を受入れて生きる強さにつながります。
ただ、大人になってから過去を振り返ることでも、親に愛情が無かったわけでなく、自分が愛して欲しかったように愛してもらえなかっただけで、そこに愛はあったことに氣がつくことで人生が大きく変わり始める方も多くいらっしゃいます。
次回は、怒鳴られる側の大人への影響と対応についてお話しします。
お付き合いありがとうございます。