思い込みや常識は可能性を制限している? ②
こんにちは。
早速、前回に続き、自分で自分の可能性を拡げることが出来ることについてのお話しです。
子どもの頃の通知表で「協調性」という項目がありませんでしたか?
協調性とは、異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)とあります。
この協調性という質は、大きな組織の一員として仕事をする場合には、とても必要な資質です。
本当の意味での強調性は、精神的に自立したうえでお互いに助け合うという関係性、協力し合うという関係性であれば、より会社の発展に繋がるものです。
ただし、協調性も、「みんなと一緒だと安心する」「考えるのも面倒だし、誰かの指示があって、それに従うのが楽だから」という思いが根底にある場合の見せかけの協調性ならば、自分と向き合ってみることも必要かもしれません。
協調性があるのが「良い」、無いのは「悪い」ということではなく、精神的に自立したうえでの協調性を適切に使うことで、これからの時代は、多くの人と分かち合い豊かになる可能性もあります。
これまでの時代の社会では、成功者と言われる人は協調性の度合いが低く、収入と協調性は反比例するという調査結果が出ています。協調性が低いということは、独自性が高いということになります。みんなと違う視点や同じではない型に嵌らないことが、これまでの時代では成功者となることが出来ました。反対に協調性が高い場合、みんなと同じことを好みますから、周りに合わせることで周にいる人たちの状況と同じか似たような状態になるということになります。
平均的に豊かであればよいのですが、そうでない場合は・・・。
常識と言われていることや思い込みは、その中にいるときは氣がつきにくく、価値観の違う人と関わることで、自分だけの思い込みだったことや、自分が常識だと思っていただけということに氣がつくことが多いものです。
内側の真の自分と繋がって、客観視できるようになると氣づきやすくはなりますが、我慢してその環境にいると、自分の可能性は制限されていきます。
子どものころに、学校生活では、みんな一緒に行動をして、そこから外れることはいけないことだと罪悪感や、恥ずかしいことだと教えられたりします。
そして、少しずつ自分を抑えるようになったり、周囲から求められる枠に自分を嵌めるようにもなります。また、優しく思いやりのある人は、他の人に対して断ることが難しく、自分を抑えることや我慢することになって、更に自分が見えなくなっていきます。また、嫌われることが怖いと感じているときにも、他の人に対して、「自分はそれを望まない」と言う意味で「NO」を言うことが難しく、結果的に自分が苦しくなっていきます。
苦しさや窮屈さを感じているならば、それは、あなたらしさに氣がつき始めているとき、自分に氣がついたときです。
これらのことは毎日の生活の中で自然に刷り込まれているので、自分の内側に罪悪感と羞恥心を持つことや我慢することが普通だと思い込んでしまいやすいので、もしかしたら窮屈さや苦しささえ感じていないこともあります。
適切な我慢、感情のコントロールは必要ですが、必要以上にしてしまうと、苦しくなりますので、先ずは、今のありのままの自分を受入れることから始めてみましょう。
子どものころに擦り込まれてきたことは、大人になってからも無意識のうちに影響を与えています。自分の軸が出来る前、本来の自分と繋がりを再び持つことが出来る前は、周りからの印象を自分自身だと思ってしまうことが多くあります。周りからの印象で、「そうでなければいけないのだ」と、知らないうちに自分で枠に嵌めてしまっているのです。
本当は、周囲の人の印象でといっていますが、誰かに「優しい人」と言われたとして、その「優しさ」の概念も人それぞれで、自分が「優しくなければ」と思っている「優しさ」は、周囲の人の概念の「優しさ」とは違う可能性も大いにあるのです。
あなたが、先ずはありのままの自分を受入れ、何かに対して「これは、このようにするもの」と思っていることがあれば、本当にそうなのか確認をしてみると良いかもしれませんね。
「私は私である」とあなたがありのままの自分を受入れ、精神的な自立をすることで、独自性を手にすることが出来ます。
そうすることで、あなたにしかできないことを周囲に提供していくことが出来るようになります。