スピリチュアルについて勉強を始めた人が陥る罠

こんにちは。

生き辛さを感じていても、自分の才能と能力を活かして可能性を拡げるサポーターのテルミです。

 

世の中の色々な発信されている情報を見ていると、

「自分は目覚めている」と勘違いしている人や、

妄信して「自分は正しい」と思っている人や、

「自分は特別」「自分は選ばれた人」と

思っている人などが多々見受けられます。

スピリチュアルエゴといわれたりもします。

 

ミッション系のスクールに通っていたころ、授業の中に

「宗教の時間」というのがあり、

聖書を基に、私たちがどのように在ることが必要なのかを学ぶ時間がありました。

そのときの先生がおっしゃっていた言葉に

「聖書は、1人で学ぶと危険なこともありますから注意してください」というものがあります。

 

当時は「危険」という言葉に敏感に反応して、

「何かやばいもの?」「洗脳とか?」などの危険を想像していましが、

コンサルタントになってからはどういう意味の「危険」かよく分かりました。

 

「在り方」を学ぶときに、聖書では日常生活の出来事に置き換えてこういう時はこうしないというような感じでしか表現されていないのですが、またある時には、その逆のことが書いてあったりします。

この一見矛盾するような表現によって、表面的なことだけをマニュアルのように理解していると「あの場面ではこういっていたのに、今度は反対の事を言ってるのはおかしいんじゃないの!?」と、混乱をきたして、精神がおかしくなっていく危険性です。

本質を見出していない時に起こる危険ですね。

 

本質の部分を見ると、その状況や関わる人がどのような人なのかによって、同じ質でも使い方や表現の仕方を変えていたりすることが違うだけなのですが、表面的な浅い部分しか観ていないとそれを見ることが難しいのですよね。

 

もう一つは、「自分は凄い」という観違いが起きる危険性。

それが、スピリチュアルエゴと言われているものですね。

自分に自信がない時や、自分を擁護する何かを探す依存傾向がある場合は、陥りやすくなります。

「自分は特別」なのは、みんなそれぞれが特別な存在で、「自分だけが」ということではないし、意識できているかどうかは別として、みんな何らかの目的や役目があって地球に生まれてきています。

その役目がそれぞれ違うだけです。

 

特に、「いい子」と言われる、親や先生のいう事をよく聞く子ども時代を経験したり、周囲に自分を無意識にコントロールしようとする人がいる場合は、特に、本質を見出すのも経験や練習が最初は必要だったりします。

また、その人が持っている質によってもスピリチュアルエゴに陥りやすい傾向の強弱があります。

とういう意味では、自分がどのような質を持っていてどのような傾向があるのかを知っておくことは大切になります。

 

どちらの場合にも共通しているのは、自分の中心に定まる事が必要ですね。

 

スピリチュアルエゴは、本当の目覚めを妨げるもので、その経験はテストのようなもの。

目覚めさせたように勘違いさせておいて、実際は、そうならないようにコントロールしやすいということにもなっています。

例えば、SNSでも「おすすめ」として紹介される発信も、あなたが普段よく閲覧している情報を基に紹介されますから、情報の偏りは強化されていますので、自分の状態に氣がつきにくく、その偏りからも抜け出しにくい状況を創っています。

大勢が賛同しているから安心ということではなく、あなたの目で発信者がどういう人なのか調べたり、あなたとは違う意見の情報に触れるなどして、視野を広げて俯瞰して客観的に観ることも必要になります。

 

そして、適切に疑うことも必要なこともあります。

それは、自信か無いからとかということではなくて、「うん?」「なんかおかしくない?」という違和感がある時に、「氣のせい」と流すのではなくて、その感覚を信頼して、目にした情報を疑ってみるのです。

一端立ち止まって、情報を精査していくと、何に違和感を覚えたのか見えてきます。

そうすると、その本質に氣がつきやすくなります。

 

スピリチュアルエゴから抜けるには、適切に疑って、本質を見ていく目を養うことが必要になりますね。

人間は感情を持っているので、不安や恐れがあると、本質が見えなくなりやすくなります。

ですから、内側に不安や恐れがないかを確認することも必要。

そんな時は、一呼吸おいて落ち着いて、内側の感覚に意識を向けてみましょう!

あなたが感じる違和感は、あなたにサインを送っています。

 

いつもお読みいただきありがとうございます。