「毒親」って言葉を知っていますか?
こんにちは。こんばんは。
深層心理コンサルタント・カウンセラーのテルミです。
今までは週1で通っていた親のケアを去年の10月くらいから週2にすることになり対応していたのですが、先月、理不尽なことで責められたことがきっかけで限界だったことに気が付きました。
結局、妹に協力を求めることになって、取りあえずは現実的にはひと段落。
公的機関の利用は、物理的な援助にはなるので、大いに利用させて頂いています。
で、このきっかけが起こった経緯ですが、親のケアをしながら、「私は何をやっているんだろう?」って感じ始めたこと。
以前にも同じような感覚になったのは、東京でとある学校の事務や運営のサポートを行っていた時。
「私、何をやっているんだろう?」と。
始めたきっかけは、緊急的なサポートが必要との依頼と、私の勉強を兼ねてだったのですが、ある程度落ち着いてきたころ、私が感じ始めた、先ほどの感覚。
「その期間をもう終わっていいんじゃないですか~」という潜在意識で起こっていたこと。
この感覚は、「自分の役目じゃないよ」「エネルギーの注ぐ方向違いますよ」というサイン。
で、鹿児島に帰ってくるような流れが起こりました。
そんな中、今回は、先月から、新しい講座の内容を組み立てていくためにマインドセットをしていて、過去を振り返る機会に親との関係を振り返る機会が増えたことで、もう大丈夫だと思っていたのですが、親のケアをしているときに、奥深くにあったトラウマが発覚(苦笑)
親子関係は、子どもには成長過程で恋愛や経済活動など影響は多大。
これは、2人親やどちらかの1人親だけとかは関係ありません。
子どもが人格形成される6歳くらいまでにどのように育てられてきたかが影響します。
そして、家庭環境や親の状況などにより理由は様々で、対応も様々になります。
また、「良い」「悪い」という表面的なことで解決するものでもありません。
私の場合、妹が生まれてから特に家に居場所がなく感じて、子どもがいなかった伯母夫婦の家に1週間とか1ヶ月単位で泊まって(住んでいる)、暫く実家 (笑)で過ごして、また泊まりに行く感じでしたが、その大好きだった伯母夫婦も6歳~8歳ころに相次いで他界しました。
まあ、その前から、躾といって叩かれることは多々ありましたし(昭和の時代の家庭では特に多かったですね。)、父からは自己防衛のために他責で私のせいにされたり、母からは何かにつけて否定されて、家が緊張状態で安らがずに、心理学的に言うと「愛着障害」を抱えることになりました。
親の影響を受けやすい子どもとそうでない子どもと、子ども自身の性質にもより影響の差は違いがあります。
また、自己防衛のための他責により、「お前が悪い」と言われることで、私の自己肯定感は低いまま大人になり、元夫も、同じように私に「お前が悪い」という方で、セラピストの学びを始めて、色々と分かってきたので離れることにしたんですよね。
当時は、自分がどんな状態なのか分からずにいたので、意識では望んでいいないけれど、自分のことを否定されることによってしか自己存在価値を見出せずにいた私の波動と共鳴した相手(私の存在を否定する人)と結婚することになっただけでした。(今ならよく分かる。)
ちなみに、言葉の虐待は精神的虐待になります。
あと、生まれた順位(兄弟姉妹の何番目か)や、一人っ子なども、人格形成に影響を与えます。(無意識的な傾向と関係します)
6歳以降は、友人関係などの親以外との関係性の中で人格形成をしていくことになります。
また、自分で、愛着障害に氣がついた人は、自分で自分を育てることで安定型の愛着スタイルを形成することができます。
親子関係だけでなく、その後の友人関係などの集団的関係などのなかで形成されていきますから、親の役目を果たしている方は、気負い過ぎずに、子どもさんと理解しようと対話をしていかれてください。
心からのコミュニケーションは大事ですね。
そんなこんなで親が高齢になるにつれ、どんどん子どもに成っていく中で、私が子どもの頃に欲しかった「愛」を欲しがる行動が見えてきて虚しさが・・・(表面的な行動しか観ていないと気づかないと思います)。
親自身も愛が不足していたり、何らかの発達障害を抱えていたり(日本人の20人のうち1人は発達障害グレーゾーンとも言われています。日本人の器質とも関係しています)、様々な条件や環境が影響していることが分かりますね。
毒親の親も毒親の可能性が高いのです。
核家族になったことで、親をフォローしたり、子どもを庇ったりフォローしたりする祖父母や、地域のサポートが減ってしまったことも現状を招いている原因の1つともいわれています。
「毒親」って言葉、私は使うことに抵抗がありました。
幼児虐待で殺されてしまう子もいるのに、育ててもらってありがたいと、望んだ愛ではなかったけれど、親なりの愛はあったと、一般的なセラピーでは言われ、私もそのように思っていました。
一方、親を尊敬出来ない自分はおかしいのだとも思っていました。
でも、「親を敬うべき」という教えは儒教から来ている教えで、一般的に受け入れられていて、それは、虐待を受けた子どもにとっては、何の解決にもならず絶望と混乱を招きます。
頭では理解できても、心の中にはしこりとなって残ったままになります。
「毒親」という言葉は、スーザン・フォワード著 1989年にアメリカで出版された
「TOXIC PARENTS」が、「毒になる親」として1990年に日本で出版されて以来使われるようになった言葉です。
私の受け取り方は、「毒親」ということを認めることは、親の存在自体を否定しているわけではなく、子どもには毒となるようなとてつもない害を及ぼしたことは事実かもしれないけれど、その親だけに責任があるわけではないと思っています。
自責をして生き辛かった人には、救われた思いをした方もいるでしょう。
でも、他責にすれば全て解決というわけではないのです。
他者は変えられないので、他責にしている限りは「毒親」という言葉に依存したり縛られて、自分で自分の人生を創造していく、変えていくことには繋がりませんよね。
先日、過干渉の親についての対応で、物理的距離をとるというお話しをしましたが、物理的距離をとることで直接的な攻撃の機会を減らせたりはしますが、一時的な対応で根本的な解決にはならず、心のしこりはやはり残ります。
過去ブログはこちら
親の状態や当時の状況を知ることで、自分にとって何が害になったのかを知ることや、自分がどうすれば良いのかが分かります。
親が出来ることと、親にどのように対応すればよいのか、何が親から得られるか(学び)などが分かります。
そして、適切に境界線をひき、親と自分は別の人格と魂を持ち、1人の人間だという理解です。
毒親となった親も、意識的になったわけではなく、無意識で本人は気が付いていないことが殆どです。
親が謝る必要もなく、子ども自身は、ありのままの自分を許し受入れ、自分軸(もしくはセンタリングして)で、選択・行動していくことです。
エネルギーの注ぎ先は、親や外側ではなく、自分の内側に向けて、必要なところにエネルギーを注ぐこと。
捉われていた親に対する過去の影響を手放し、人生リセットです。
幸福の前兆のお知らせの執着を手放し再生のカミキリムシのメッセージとも繋がります(^^ 過去ブログはこちら
あなたの大切な時間を使ってお読みくださりありがとうございます。
あなたの毎日が健やかで幸せで在りますように。
【藤井風 コメント】
愛の不在を描いたラブストーリーに曲を添えるというお話をいただき、これを機に人生で初めてラブソングというものを書いてみようと意気込んでいました。
しかし出来上がったものはこれまでずっと表現していたものの延長線上にありました。
始まりがあるものには終わりがあるということ。
愛は求めるものではなく、すでにたくさん持っているもの。
与えれば与えるほど、「満ちてゆく」もの。